カテゴリー「自然」の記事

雪……、ゆき……、ゆき……。

  • 投稿者:Yuuta
  • 2006年1月8日(日)23時59分

雪……、ゆき……、ゆき……。

朝起きてびっくり。昨日除けたはずの雪が、雪囲いを超えて、今にも玄関とベランダに崩れてきそうで。何年ぶりかの大雪で、我が工房も埋もれてしまいそうです。

昨日は仕事場と窯場の屋根の雪降ろしをしました。といっても、五十肩の私はあんまり戦力にならないので、下の雪かきをしながら時々屋根の上に登って、綺麗な雪景色を見たり(こんな時しか屋根の上になんか登れないですものね)、写真を撮ったり、前の道を通る除雪車の威力に感心したり……。

でも後で気が付いたのですが、除雪車が思いっきり雪をほじくったり、何度も何度も山盛りの雪を乗っけて、押し付けたりしていた場所には、早い雪で取り入れ忘れていたシゲル氏の「オブジェ」がいくつか埋もれているのです。

春になって雪が解けたら、あっちの木の枝や土の上に転がったオブジェが見つかるかも。どうか壊れていませんように……。

それでは、雪の写真をお楽しみ下さい。

写真

*画像の上にポインタを乗せると、ポップ・アップで写真の説明が表示されます。クリックすると、別窓で拡大画像(1024px*768px)が表示されます。

戌年の狗

  • 投稿者:Sigeru
  • 2006年1月7日(土)8時05分

今年は正月から雪に埋もれている。住居に使っている方の家屋はかね勾配で鉄板なので、雪が落ちてくれるが、仕事場のほうは、それほど傾斜をつけてる訳でもなく、アスファルト・シングルなので雪が積もりっぱなし。昨日、心配なので息子と二人で雪下ろしをする。測ると1m20cmあった。東北や北陸のことを思えばまだましなほう。

今年は戌年。イヌで思い浮かぶのは森山大道の〈三沢の犬〉、それと中上健次の矢の川峠のイヌ。そう思って、あれは「紀州」だったか「熊野集」だったかと「熊野集」をペラペラとめくっていると、短編「熊の背中に乗って」に見つかった。しかし、それはイヌではなく狐だった。その私の思い込みは、それに続くイヌにまつわる文章に依るようだ。

狐といえばイヌの話が出る。犬と漢字を当てるより狗と当てたほうが、いぬ(去ぬ)、さる(去る)の二つの獣に対して古人が抱いた思いが、むくむくと立ち顕れる気がするが、そのイヌとは随分深く関わりがある。

中上健次 「熊の背中に乗って」 (『熊野集』 255頁)

狗という字が、それ以来頭に焼きつく。そして

銀まだらのそれが私の前に現れたのは二度目だった。(中略)それは尻尾を股の間にはさんで、私の箱バンと同じ進行方向に歩いている道路工事の人夫を見て安全を確かめるように距離を目測し積み重ねられたビニール袋を破って顔を中に突っ込み残飯をあさっていた。オオカミだと見えたことが嘘のようにやせた貧相な体つきで、(中略)人夫が石をひろうふりをすると、それは顔を上げて体を逃げる体勢に持ってゆき、投げるふりをするとすばやく走り出した。(中略)私がいまここで思い出すのは、その銀まだらのイヌに失望したにもかかわらず、そのイヌが好きだ、おぞましくあさましいもの、日本的に言えば賎なるものがそれゆえに光り輝いていると思ったことだった。

前掲書 263頁

これらの文章が矢の川峠の狐の描写に重なり、矢の川峠のイヌの思い込みが生まれた。そしてそのイメージは三沢のイヌへとつながってゆく。

オオカミの野性があればイヌの野性もある。うちでは猫を三匹飼っているがネコの野性というものもある。ネコの野性は外向するが、イヌの野性は内向し屈折する。屈折し内向した野性を、内面などからではなく、肉体の深みから(ル・クレジオ)、創作へと昇華する。

そうできればと思っている。

参考文献(Amazon.co.jp

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