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風曜日の鬼とお福展が始まりました。

  • 2006年01月26日(木)
  • 投稿者:Sigeru

注:この展覧会は、既に終了しています。(2006年2月7日追記)

昨日から「風曜日」で「鬼とお福展」が始まりました。一昨日搬入に伺ったときは、展示準備の最中でしたが、すでに展示を終えた作品もありましたので一部ですが写真で紹介します。

以下は、陶工房 Sigeru & 風花の作品(展示前)です。

関連記事(陶工房 Sigeru & 風花のブログ)

  • 風曜日で「鬼とお福さん」の展らん会があります(2006年1月18日 / 田中滋)

再話講座のお話会

  • 2006年01月16日(月)
  • 投稿者:風花

今日は、今津図書館で行われたNPO法人「絵本による街づくりの会」主催のお話会に行ってきました。

お話の内容は、地域に昔から語り継がれた民話や昔話で、語られた方々は、昨年6月~9月に月1回行われた「再話講座」(絵本による街づくりの会が主催で、今昔語り部 禅定正世さんの指導でなされてきました)に受講された方たちです。地域に伝わる昔話を採集しわかりやすく再話して、それぞれの人が語るといったやり方で、語られる方の心までもが伝わってくるお話し振りでした。

お話の中には高島市の私たちに身近な地名がたくさん出てきて、ああこの地名にはこんな物語があったのだと感心したり、中にはユーモアたっぷりのホラ(?)話があったり、遠く大阪からこられた方からは、大阪の昔話を聞けたりで、あっという間の1時間半でした。

今日のお話は本当は、昔話が語られるには絶好の囲炉裏端で行われる予定でしたが、会場になるはずのマキノ国境の願力寺さんも例にもれず、大雪による積雪のため、今津図書館の開催となりました。昔は、おじいちゃんおばあちゃんから、囲炉裏端で聞かされた民話や昔話。とても面白かったり、恐ろしかったり、想像力を書きたてられる経験を、今は私を含め大人の人も知らないでいますが、大人の人もしっかり楽しめて、心温かくなったひと時でした。。そんな土着の生活文化のようなものも、いずれは私たちの作品にも生かせていけたらと思っています。

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雪……、ゆき……、ゆき……。

  • 2006年01月08日(日)
  • 投稿者:風花

雪……、ゆき……、ゆき……。

朝起きてびっくり。昨日除けたはずの雪が、雪囲いを超えて、今にも玄関とベランダに崩れてきそうで。何年ぶりかの大雪で、我が工房も埋もれてしまいそうです。

昨日は仕事場と窯場の屋根の雪降ろしをしました。といっても、五十肩の私はあんまり戦力にならないので、下の雪かきをしながら時々屋根の上に登って、綺麗な雪景色を見たり(こんな時しか屋根の上になんか登れないですものね)、写真を撮ったり、前の道を通る除雪車の威力に感心したり……。

でも後で気が付いたのですが、除雪車が思いっきり雪をほじくったり、何度も何度も山盛りの雪を乗っけて、押し付けたりしていた場所には、早い雪で取り入れ忘れていたシゲル氏の「オブジェ」がいくつか埋もれているのです。

春になって雪が解けたら、あっちの木の枝や土の上に転がったオブジェが見つかるかも。どうか壊れていませんように……。

それでは、雪の写真をお楽しみ下さい。

写真

*画像の上にポインタを乗せると、ポップ・アップで写真の説明が表示されます。クリックすると、別窓で拡大画像(1024px*768px)が表示されます。

戌年の狗

  • 2006年01月07日(土)
  • 投稿者:Sigeru

今年は正月から雪に埋もれている。住居に使っている方の家屋はかね勾配で鉄板なので、雪が落ちてくれるが、仕事場のほうは、それほど傾斜をつけてる訳でもなく、アスファルト・シングルなので雪が積もりっぱなし。昨日、心配なので息子と二人で雪下ろしをする。測ると1m20cmあった。東北や北陸のことを思えばまだましなほう。

今年は戌年。イヌで思い浮かぶのは森山大道の〈三沢の犬〉、それと中上健次の矢の川峠のイヌ。そう思って、あれは「紀州」だったか「熊野集」だったかと「熊野集」をペラペラとめくっていると、短編「熊の背中に乗って」に見つかった。しかし、それはイヌではなく狐だった。その私の思い込みは、それに続くイヌにまつわる文章に依るようだ。

狐といえばイヌの話が出る。犬と漢字を当てるより狗と当てたほうが、いぬ(去ぬ)、さる(去る)の二つの獣に対して古人が抱いた思いが、むくむくと立ち顕れる気がするが、そのイヌとは随分深く関わりがある。

中上健次 「熊の背中に乗って」 (『熊野集』 255頁)

狗という字が、それ以来頭に焼きつく。そして

銀まだらのそれが私の前に現れたのは二度目だった。(中略)それは尻尾を股の間にはさんで、私の箱バンと同じ進行方向に歩いている道路工事の人夫を見て安全を確かめるように距離を目測し積み重ねられたビニール袋を破って顔を中に突っ込み残飯をあさっていた。オオカミだと見えたことが嘘のようにやせた貧相な体つきで、(中略)人夫が石をひろうふりをすると、それは顔を上げて体を逃げる体勢に持ってゆき、投げるふりをするとすばやく走り出した。(中略)私がいまここで思い出すのは、その銀まだらのイヌに失望したにもかかわらず、そのイヌが好きだ、おぞましくあさましいもの、日本的に言えば賎なるものがそれゆえに光り輝いていると思ったことだった。

前掲書 263頁

これらの文章が矢の川峠の狐の描写に重なり、矢の川峠のイヌの思い込みが生まれた。そしてそのイメージは三沢のイヌへとつながってゆく。

オオカミの野性があればイヌの野性もある。うちでは猫を三匹飼っているがネコの野性というものもある。ネコの野性は外向するが、イヌの野性は内向し屈折する。屈折し内向した野性を、内面などからではなく、肉体の深みから(ル・クレジオ)、創作へと昇華する。

そうできればと思っている。

参考文献(Amazon.co.jp

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